[コラム]私のマラソン年表/タレント・ランナー 中村優

2020年3月以降、マラソン大会はほとんど中止になり、私も含めランナーはジムや家の近所を黙々と走っているような状況でしょうか。心と体のバランスを取るため、健康維持のため、私は自粛期間も走ることを続けています。
振り返ってみると、フルマラソンを丸一年間走らなかったのは10年ぶりくらいかもしれません。走る目的やテンション感はその時々でかなり移り変わっているので、ざっくりとマラソン年表を書いてみました。




〜2003年(〜16歳頃)スポーツ大好きbut長距離走嫌い!

機会としては、体育の授業や部活の練習として走るくらい。スポーツは大好きだけど、長距離走だけは好きじゃない。短距離はクラスで1番とかではないけど速い方。長距離は速くもないけど特別遅いわけでもない。
ただただ学校のマラソン大会や持久走の授業は本当に憂鬱だった。

2004年〜2007年(17〜20歳頃)ダイエットの為ランニングを始めてみる。

育ち盛りの中学時代から、朝食に白飯3杯食べるほどの食欲は高校生になっても変わらず。部活も毎日練習のあるバドミントン部から、週一お稽古の茶道部に。
ぐんぐん伸びていた身長も止まり、縦への成長は完全にSTOP!横に成長し始める。
ダイエットのためにジムや外で走り始めるも、頻度もまちまちで習慣化せず。ダイエットも成功せず。キロ何分とか走った距離など全く把握しておらず、ただなんとなく20分くらい走っていたのかな?!(あまり記憶がない)

2008年(21歳頃)初フルマラソンにチャレンジ!

ハワイに行けるなら…という単純な理由で、『ホノルルマラソン』を走る仕事を引き受ける。大会半年前から練習開始。好きではなかった長距離走も、ホノルルをイメージしながら走ることで初めて楽しめるように。
週に3回ほど5〜10kmの練習。練習での最長距離は17kmまで。5時間切りの目標を達成したものの、長距離練習が足りなかったせいか後半脚の張りや痛みがとても辛く、ゴール後の率直な気持ちは「フルマラソンはもう二度と走らない。」

2009年〜2010年(22〜23歳頃)ランニングが習慣化。

フルマラソンでの辛い記憶は徐々に薄れるのに、大きな達成感や自分の頑張りに対する誇らしさは増すばかり。新しいランニングシューズも購入し、大会など目標はなくとも、日々のリフレッシュ法としてランニングが習慣化。週に2〜3回5〜10km走る程度。目標がなくても、ただただ走ることが楽しいと感じられるように。

2011年(24歳頃)ランニングタレント開花の年!

那覇マラソン中村優

6月
自分の中で走ることが自然なことになり、仕事として2度目のフルマラソンチャレンジのオファーはすんなり受け入れる。ベストタイムを狙い4時間半切りを目標にするも、練習で頑張りすぎて腸脛靭帯炎に。
結果5時間1分と初フルより遅い記録を残してしまい、3度目の挑戦を誓う。その時コーチングして下さった、24時間テレビでお馴染みの坂本雄次さんのお話から、ウルトラマラソンに興味を持つ。

9月
坂本さんのお誘いで、京都で開催される『歴史街道丹後100kmウルトラマラソン』60kmの部に参加。初のプライベートでのマラソン。
コース途中で出会ったランナーさんに「それじゃ次の関門間に合わないよ!」とそれまで知らなかった関門の存在を教えられ、痛めた脚で全関門をギリギリ通過し、なんとか制限時間内に完走。
コースで見かける100km挑戦者たちの背中があまりに格好良く「私も100km完走したい!」「100km完走出来たらもっと自分に自信がつくかも!」という思いが強くなる。
私設エイドを出してくれた梨農家さん、ボランティア&ランナーの皆さんとの何気ない会話がとても幸せで癒された。その幸せな気持ちと脚の痛みを感じながら走った60km、自分の人生について思いを巡らせた。そういう時間を持てるのがマラソンの素敵なところ。

11月
再び坂本さんのお誘いで『湘南国際マラソン』に挑戦。4時間半切りのリベンジを達成。6分/kmのペースをキープしながら、近くを走っていたアメリカ人と片言英語で会話が弾み友達になる。
エイドのおにぎりを食べた時、「この世で一番美味しい食べ物はおにぎりだ!」と感動。たまたま翌日が『ラン×スマ〜街の風になれ〜』スマイルランナーオーディションで、完走Tシャツを着てマラソンでの体験や、100kmへの熱い思いを語る。後日、合格の一報が届く。

12月
『ラン×スマ〜街の風になれ〜』初ロケは沖縄の『那覇マラソン』。スタートからゴールまでカメラマンが並走して、ランナーにインタビューしたりリポートしながらの42.195kmは、いろんな出会いや触れ合いがありとても面白い。もちろん大変でもある。ソーキそばやサーターアンダギーなど、いろいろ食べた。

2012年〜2015年(25〜28歳)スマイルランナーとして日本各地を走り回る

2012年4月〜
『ラン×スマ』がレギュラー化。ここから怒涛のマラソン中心の生活に。毎月フルマラソン、なんてことも。怪我したりモチベーション維持に苦労しながらも、沢山のランナーさんに声をかけていただく機会が増え、やりがいを感じる。マラソン中エイドで美味しそうに沢山食べることから、MCの田村亮さんから『食べランナー』と命名される。

2014年
ついに念願の100kmマラソンに挑戦。そのために約3ヶ月、月間走行距離を250〜260kmに。週5回、10〜30kmの練習。この時が自分史上一番練習量の多い時期。
練習の甲斐あり、『サロマ湖100kmウルトラマラソン』を、体調の異変と戦いながら制限時間の5分前に完走。気温28度を超えマラソン大会としては灼熱…完走率55.8%の低さだった。『ラン×スマ』視聴者からの反響も今までで一番大きかった。大きな目標を達成し、自分への信頼感が増した。

2015年
2度目の100kmマラソンは『飛騨高山ウルトラマラソン』。累計標高差約2500mほどのアップダウンの激しいコースだが、サロマの時より精神的余裕を持ってゴール。それでも後半はやはり辛すぎて涙を堪える瞬間も。
ウルトラマラソンの後は、しばらく走るのはお腹いっぱい!ということでひと月近く走るのをお休みすることも。

サロマ湖100kmウルトラマラソン 中村優

2016年〜2019年(29〜32歳頃)ゲストランナーとして日本各地を走り回る

スマイルランナー中村優

2016年3月にラン×スマ卒業。「なんで走ってるんだろう」と悩む瞬間もあったが、ラン×スマ卒業回である『北九州マラソン』で、スタートからゴールまで自分らしく精一杯楽しみ切る!と決め、改めてマラソンっていいなと実感する。
その後は全国各地のマラソン大会やイベントにゲストランナーとして参加。
その度に「優ちゃんが走っているのを見て走り始めました!」というお声を沢山いただき、走ってきてよかったと思う。時間は気にせず、ランナーやボランティアの方たちと交流しながら走るのが、自分らしいマラソンの楽しみ方。
頻度は週に2〜4回、5km〜10kmをベースに、フルマラソン前は20〜30km走を入れる程度。
おしゃべりしながら楽しくゆる〜く走るファンランイベント「中村優とはしろう!」を月に一度開催。

スマイルランナー中村優

2020年〜(33歳〜)コロナ禍により、また自分のために走る日々に。

20〜30代女性限定ランニングコミュニティ『go girl』のコーチに就任。メンバーはフルマラソン完走を目指し、少しづつ走行距離を伸ばす。12月にはメンバーで『スマイルマラソン』に参加し、ハーフマラソンを走る。
コロナの影響で大きなマラソン大会は壊滅的に。中村優とはしろう!も休止中。オンラインイベント中心に。
最近は早起きして朝に5〜7kmほどの短い距離を週4〜5回。大会のためではなく、自分の体と心の健康を保つためにマイペースに走る。
また走るのが大好きな人たちとマラソン走れる日を願って。


なんか…恥ずかしいのですが、自分で振り返りながら懐かしさにグッときてしまいました(笑)。気が付けばいつの間にか走ることがお仕事になっていて。なんだかんだ、マイペースにでもずっと走ってきたんですね、わたし。
もしかしたらこのコロナ禍で「誰かに求められて走る」ということから一休み出来たのかもなぁ、なんて思ったりもします。でも、そろそろ皆でわいわいとマラソン大会走りたいですよね。本当に。
今後の私はどんなふうに走っていくんでしょうね。100kmマラソンに憧れてストイックに頑張った時期もあるかと思えば、それ以降はゆるいファンランしか
していませんが。神のみぞ知る的な?!またウルトラやるって言い出すかもしれないし。50歳過ぎてから、とかね。私にもわかりません。気分屋なんでね。でもきっと、どんなペースでもずっと走っているだろうな〜。これからも自分の気持ちに素直に、走ることを楽しんでいられたらいいなと思います。

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タレント/ランナー 中村優
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